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三月一日に、男の子を出産しました。
予定より少し遅めで、少し長めの入院でしたが、母子ともに健康です。
出産の感想は、「痛いいたい!それ!入れたままりきむの?むりむりむr!いたい!死ぬしぬしぬ!ていうかむしろ殺される!このひとたちにころされる!うぎゃーー、え、産まれた?今出たの?うわ、本当に人が入ってた……!」という感じ。
終わった後、やたら喉が痛くて、無意識にそんなに叫んでたのかと思ったほど。
赤ちゃんは、びっくりするほど世話が焼けて、びっくりするほど小さくてかわいいです。
ここ最近は、赤ん坊の顔ばかりを見ている生活なので、たまに夫の顔をまじまじと見るとまた別の意味でびっくりします。
顔のパーツが濃くて大きい。大人だから当たり前なのですが、私も似たようなものなのですが。
数十年したら、この子もこういうふうになるんだな、と思うと実に感慨深いです。
逆に言えば、大人もみんな、これくらい小さい時代が確実にあったわけで。
そう考えると、義母が未だに息子(夫)を小さな子供扱いしているのも、まあ仕方ないのかな、と思うところもあり。
とはいえ、いつか子離れはしないといけないけども。
今は蜜月を堪能するのみ。
退職してから「私は家具か」ってくらいにひっそりと生息している。家事をする家具。息をする家具。あまり喋らない家具。
昼に眠ってしまうから夜に眠れないのだと思って、今日の昼寝は控えた。だけど寝れぬ。眠気すらやって来ない。これが臨月不眠症ってやつなのか。出産に対する恐怖、育児への不安、腹の重み、それに加えて胎動にごりごりと内臓を抉られて思わず声が出る。あー、私にはキラキラ☆妊婦ライフを謳歌するのは無理みたいだ。
出産予定日、というのは一応設けられてはいるけれども、お産が一体いつ始まるのか、気が気でない。生命にまつわる重大な出来事が「いつ起きるかは分からないけれども確実にその時は来る」という大雑把なものなんだ、ということにあらためて驚いてしまう。
とりあえず、赤子用の肌着も水通しを終えたし、入院準備もほぼ完了した。プチ家出か引越しかってくらいの荷物になった。
とはいえ細々とした懸念事項はまだ残っていて、私なりに考えた結果を夫に提案したのだけども、頭ごなしに否定されて久々にプッツン。それで私もいささかキレすぎたかな、と思って「マタニティーブルー」を調べてみたら、主に産後にホルモンバランスが崩れて不調を来たしやすい、とあった。産前ですでにこれだから、ますます、不安。
はてさて、全く眠くないな。
年が明けました。
今年もよろしくお願いします。
2012年の目標としては、やはり出産ではあるものの、意気込みだけで何とかなるもんでもないし。とにかく祈り祈られて臨むばかり。
出産にあたって、里帰りはしないのか、と周りからは聞かれるものの、その選択肢は最初から自分の中にはない。
震災後に放射能問題で家出したはずの実兄は心配する間もなく舞い戻り、それを許容しているだけの親は「うちはこんなだから赤ちゃんも簡単に連れて来られないような状態ですまない」という。そんな毒沼のような、居るだけでHPやMPを消耗しかねない家には帰れない。
そのこと自体は悲しいというより、そういうものだから仕方がない、と諦めているのだが、腹が立つのは夫が「実家には帰れないのか」と何度も聞いてくること。
どんなに心を砕いて「毒親とはなにか」「なぜ自分の親が毒になると思うか」について説明しても、分かってもらえない。しまいには私自身が「毒子」と言われる始末。その時にはさすがに涙が出た。
そんな夫の母つまり義母は、決して悪い人ではなくむしろ良い人だけれども、そちらにもあまり頼りたくない。
なにせ、私の夫つまり息子への干渉が過ぎるので距離を置いたという経緯があるから。
家を出て、夫婦二人だけで暮らし始めてやっと、自活していくということを夫に実感させたところでもあるし。
とはいえ、ノー里帰りは、夫の協力なしでは成立しえないだろうから、着々と準備を進めないと。
もう今年が終わる。実際にはあと一ヶ月あるけど、それは無いものと思ったほうがいいくらいの勢いで過ぎ去ってしまうものと思われる。それくらい、今年はあっという間だった。いろいろあっても、なくても、時は確実に人や物を遠くへ追いやってしまう。そして流れ着いてきた新しいものと、また一から関係を作っていく。
これまでの人生で、ひどく孤独を感じた時は何度かあったけれど、もしかしたら胎内に宿っている時が人としては一番孤独なのではないだろうか。声も言葉も分からずに、ただ浮かんでいるだけ。それが生命の始まりで、十ヶ月も続くなんて。ほんと不思議。
左下半身の、ある部分が痛むので調べてみたら「坐骨」という部位だった。妊婦は骨盤が歪んで坐骨神経痛になりやすいらしい。今はまだそこまで痛むわけではないけど、これ以上ひどくなったら困るのでトコチャンベルトとやらを注文してみようかな。「トコチャン」を、元ボクサーの「トカちゃん」と勘違いしていたほどそういうことには無縁だったわけで、知らないことが山積みである。
明日でいよいよ六年間勤めた職場ともおさらばえ。派遣で六年間て。指折り数えてびっくりしたわ。その後は三ヶ月間、同じ会社の違う職場で働く予定なのだが、若干遠くなるのが何とも不安。片道三十分、歩けなくもない距離。駐車場も探しつつ、年内いっぱいは頑張る。新しい職場は派遣の女性が沢山居るらしいので、そこも不安といえば不安。というのも、昼食だけ一緒に食べるような関係がどうも苦手なのだ。沈黙も怖いし、無駄にテンションを上げて喋りすぎてしまうのではないかという危惧もある。各自勝手に食べるような雰囲気なのが理想だなぁ。
いずれは子育てをしていくにあたって、こんなに非社交的では子にとって悪影響かも、とはよく考える。でも無理して付き合いを広げても、おそらく上手くいかないことは今まで生きてきて証明済み。自分の親はどうだったか。母は人を信じやすく、ちょっとしたことを大げさに受け取って傷付きやすい。父は仲良くなるまでのスピードはあっという間で頻繁に遊びに出掛けたりするが、ちょっとしたことがあると一切の付き合いをやめてしまう。おお、ばっちり受け継いでるじゃないか。危機感が高まってきました。
今週末は一カ月ぶりの待ちに待った検診。妊娠してからは、この検診が節目となっている。だから時が過ぎるのがとても早い。
この勢いで不安な日々もやり過ごせますように。
神はいるね。
確実にいる。
今まで、神に感謝することもあった。全力で呪うことも。そして、その呪った分は時を越えた分だけ因果を取り込んで膨れ上がり、途轍もない姿となってひょっこり現れる。
そういう時に確信する。ツケをきっちり払わせる神の、揺るぎない存在を実感する。
まー予定していたことがことごとく打ち砕かれて、その仕業たるやワルプルギスの夜のごとく。
まどかマギカ、面白かったなー。ブルーレイ欲しくなっちゃうな。プレーヤーがありませんけど。
ここしばらくは、一人前に社会人として歩んでいたような錯覚をしていたけど、どうも違ったみたい。
単なる石ころでした。通行人に蹴られたらはじき出されるほどの小さな石。散歩中の犬のマーキングに巻き込まれたり、走行する自動車のタイヤに挟まってカチカチと音を立てたりしかできない、力を持たぬ石。
悲しいとか悔しいとかいうよりも、「あーそうだったんだー」と自覚させられた。さよなら社会人類。
外でいやなことがあった日には、くすり箱で心ゆくまで暖を取るに限る。
無意識にバランスを取ろうとしているのに気付くと、ちょっとクスリとします。人間活動がんばれ。
妊娠が発覚したので、一日の大半は放射能と自主避難について考えている。
子供のことを考えたら、避難したほうが良いに決まっている。しかし、決断ができない。
避難となれば夫とは離れなければならない。夫は残ってこちらで仕事を続けることになる。
私は単身で見知らぬ土地へ移り、一人で初めての出産と育児に臨むしかない。
実母に頼めば、生まれてから一週間くらいは手伝いに来てくれるかもしれないけれど、高齢の母にあまり負担をかけるのもどうかという思いがある。
結局、このままここに居続けるのと、単身で自主避難するのと、どちらの方がよりストレスが大きいだろうか、と考えて、無難なほうへと傾いてしまう。
それでも、やはり毎日考える。今日から福島市は強制避難指示区域となりました、とメディアで報道される夢を見て、落胆と安心とがないまぜになった気分で飛び起きる。また別の日には、地上が真っ黒な煙に覆われて、絶望的な気持ちで目が覚める。
テレビやネットで目にする情報では、どれも放射能は危険だとしている。
特に子供への影響は深刻で、大人の比ではないという。
しかし、市場には基準値以上の放射性物質を含んだ食肉が出回り、放射線量が高いとされる地域は野ざらしのままのところがたくさんある。
私はこんな国に住んでいたのか、と日に日に絶望が濃くなっていく。
福島県への愛着は、今や皆無と言ってもいいかもしれない。
では何にしがみついているかというと、ここで作り上げた生活基盤に他ならない。
今まで自分で選択してきた人生そのものを、わけのわからない理不尽なものによって捻じ曲げられるのが、本当に悔しい。
先日は、二回目の受診だった。
初回では胎嚢のみが見えていたのが、今回は心拍が見えた。
身体の機能的にはとっくに新しい命を守ることに精いっぱいになっていて、つわりでずっと胃もたれしていたり、やけに眠かったり眠れなかったりと忙しい。まだ気持ちが追いついていないのだと思う。
でも、エコーのモニターの中で、小さな光がピコピコと点滅しているのを見た時に、ようやく実感が沸いてきた。といっても、なんだか「ずっと使われていなかった部屋に、新しい住人が引越してきました」くらいのものだけども。それでも、私はその人の一番の味方になりたいと思っている。
とりあえず現在のところは、この地で産もうと思っている。色んな状況次第ではあるし、まだまだ揺れるだろうけど。
気付いたらもう六月なわけで。びっくりだわ。時の流れにはいつも驚かされる。
思っていたより時間が過ぎていたり、思ったほど過ぎていなかったり。自分のなかに流れている川と世間のそれとは必ずしも同期しない。
同じ県内の人と話していて、よく思うこと。
どこに行っても、「福島」は嫌がられるんじゃないかとか、反対に「福島」というだけで必要以上に同情してくれたんじゃないかとか。
そういう考えが、自然に組み込まれている。会話の中に。
そしてその考えに触れるたびに、とてもいやな気分になる。風評被害妄想とでもいったらいいのかな。
例えば、実際にそういう目にあったというのなら、気持ちはわかる。
だけど、卑屈になって「傷つけられる前に最悪の事態を想定しておこう」というあり方が気に食わない。
そんな考えじゃ、この先どこにも行けないし、何もできなくなる。
人を信じたい。最近よくそう思う。信じるところから始めたい。なんかの歌のタイトルみたいだけど。綺麗事かもしれないけれど。たとえ裏切られても、相手にされなくても、平気でいられるくらいの強い心で。
とまあ、ずっと記事を書かないことで広告がトップに来てしまうのを避けるために、つらつらと綴る日常に放射能の話題がレギュラー入りしているのが、なんだかなあ。
それ以外のことは概ね平穏。
相変わらず趣味は見つかりませんが、ネットゲームに少し夢中になっている最近です。エバプラ面白いです。夫とパソコンの取り合いになっています。相変わらずうちのパソコンはファミコン状態です。